タクボンのお遍路日記

お遍路の事を綴っていきます

79番札所 高照院 天皇寺[てんのうじ]

金華山 天皇寺 高照院

本尊:十一面観音菩薩

本尊真言:おん まか きゃろにきゃ そわか

ご詠歌:十楽の 浮世の中を たづぬべし 天皇さへも さすらひぞある

 

伝承によれば、古代に南海の大魚を退治しに向かった讃留霊王ら88人の兵士が大魚に船を呑まれて倒れたとき、横潮明神が金山の麓にある泉の水を持ってあらわれ、その水を兵士に飲ませた。すると、全員が命を吹き返して助かったという。それからこの泉は「八十場(やそば)の霊水」と呼ばれるようになったという。(弥蘇波から転じたとの説もある)

その後、寺伝によると、天平年間に行基は、カナヤマビメカナヤマビコが鎮座される金山に薬師如来を本尊とした堂宇を開創し、さらに、空海弘法大師)が八十場の泉を訪れたとき、荒廃していた堂舎を再興し、その霊域にあった霊木で本尊十一面観音、脇侍阿弥陀如来愛染明王の三尊像を刻造して安置し、また、薬師如来を刻んで金山ノ薬師として札所となり、それらの霊験著しく七堂伽藍が整い境内は僧坊を二十余宇も構えるほど隆盛、明治初年に廃寺になるまで摩尼珠院妙成就寺(まにしゅいん みょうじょうじゅじ)と称した。

寺号の「天皇」は崇徳上皇に因むものである。保元の乱で敗れた崇徳上皇讃岐国阿野郡西庄村に配流となり、長寛2年(1164年)の旧暦8月26日に死去した。上皇の亡骸の処遇について京から返事の使者を待つあいだ、金棺を冷たい八十場霊泉に浸し、清水をかけ続けたところ、21日間すぎたのちも上皇の顔はまるで生きているごとくだったという。やがて返事が届いて上皇は荼毘に付された。その年の内に、上皇の霊を鎮めるため二条天皇は、十一面観音が本尊の一仏としてあったこともあり、その跡である此所に崇徳天皇を勧請し御廟が建てられた。また、後嵯峨天皇の宣旨により摩尼珠院は崇徳院永代供養の寺という役割を担わされ別当寺となった。そして、いつの頃か札所は金山薬師から崇徳天皇社とその別当摩尼珠院となった。ゆえに人はみな摩尼珠院妙成就寺は「天皇寺」と呼び、崇徳天皇社は「天皇さん」と親しまれるようになった。また、このあたりを「天皇」という地名で呼ぶようになったが、恐れ多いので「八十場の霊水」から名をとり、現在は「八十場」と呼んでいる。

明治初年の神仏分離令によって摩尼珠院は廃寺となり、崇徳天皇社は白峰宮と改称し初代神官には摩尼珠院主が赴任した。また、明治天皇の宣旨により崇徳院御霊は京都白峯神宮へ戻られた。 その後、明治20年に近く(約2km北の林田町)にあった末寺の高照院が移転して七十九番札所を引き継いだ。

 

【2016年 逆打ち 車遍路】

寺院なのに、なんか変わった鳥居が、お出迎え

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三輪鳥居といって、全国に3ヵ所しかないそうです

 

納経を済ませて、納経所で御朱印を頂いた

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