タクボンのお遍路日記

お遍路の事を綴っていきます

71番札所 弥谷寺[いやだにじ]

剣五山 千手院 弥谷寺

本尊:千手観音菩薩

本尊真言:おん ばさら たらま きりく

ご詠歌:悪人と 行き連れなんも 弥谷寺 只かりそめも 良き友ぞよき

 

寺伝によれば、聖武天皇の勅願により行基が堂宇を建立し、光明皇后の菩提を弔うため、大方広仏華厳経(伝・光明皇后書写)を祀り、寺院を創建したとされる。当初は中国、四国の八国が眺められたことにちなみ蓮華山八国寺と称したという。また、空海弘法大師)は7 - 12歳の期間、当寺にある岩窟である獅子之岩屋で学問に励んだという。

807年(大同2年)、唐より帰国後の空海は当地を再び訪問し蔵王権現のお告げにより千手観音を安置し、唐から持ち帰った金銅四天王五鈷鈴を納め、伽藍を再興した。また、求聞持法を修していると五本の剣が落ちてきたことから山号を剣五山、谷が多いことから寺名を弥谷寺と改めたという。

また、縁起によると「此岩窟大師四十二歳ノ契天下泰平五穀豊壌或ハ四十二歳厄除衆生ヲ救為千座之護摩修行シ跡伝ワレリ」とあり、これを聞いた後の住持が大師堂再建の折に弘法大師42歳の姿を刻み、奥之院本尊として厄除大師を祀ったといわれ、その後(焼失・盗難を恐れたなど諸説あり)、岩屋の中に石仏の厄除大師像・佐伯善通卿像・玉寄御前像を建立し、それまで祀っていた木像を秘仏としたことから、2体の厄除大師像が祀られている。(その秘仏の木造弘法大師像が320年ぶりに2014年開帳された。)

澄禅の『四国遍路日記』(承応2年・1653年)には、木像がお祀りされていると記述され、また、寂本の『四国遍禮霊場記』(元禄2年・1689年)には、「いにしヘハ木像にてありけるを石にて改め作り奉る」と記されている。

室町時代には天霧城主・香川氏の庇護を受けたが、天正期に兵火により荒廃。のち丸亀藩主京極氏の帰依により1600年(慶長5年)復興された。

 

【2016年 逆打ち 車遍路】

別格18番札所 海岸寺に行くため、88ヵ所のルートから、少し外れたので、善通寺IC周辺を後回しにして、71番札所 弥谷寺から76番札所までは順打ちで回るようにします。


前回、8月に来た時は、汗だくになりながら階段を登りましたが、今回も、キツかった。

大師堂のさらに上に、本堂はあります。

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大師堂は靴を脱いで、屋内で納経します。

納経所は同じ建物の中にあります。

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