タクボンのお遍路日記

お遍路の事を綴っていきます

69番札所 観音寺[かんのんじ]・68番札所 神恵院[じんねいん]

琴弾山 神恵院

本尊:阿弥陀如来

ご本尊真言:おん あみりた ていぜい からうん

ご詠歌:笛の音も 松吹く風も 琴弾きも 歌うも舞うも 法のこえごえ

 

法相宗の日証上人が琴弾山で修行をしていたところ、琴を弾く老人が乗る舟を海上に見た。この老人は八幡大明神であることを知った上人は、その琴と舟を山上に祀り琴弾八幡宮と名付けた。行基が養老6年(722年)に訪れた後、大同2年に空海弘法大師)が訪れ、琴弾八幡宮本地仏である阿弥陀如来を描き本尊として安置し、寺号を七宝山神恵院(じんねいん)とし第68番札所に定めた。

以来明治初期までは神仏習合の神宮寺として琴弾八幡宮が第68番札所であった。しかし明治政府による神仏分離令により琴弾八幡宮は琴弾神社と神恵院とに分離されることになり、神恵院は麓にある観音寺境内に移され、阿弥陀如来図も移転に伴い観音寺境内の西金堂(さいこんどう)に移され神恵院本堂となった。2002年、境内の別の場所に神恵院本堂が鉄筋コンクリートで新築され、元の本堂は薬師堂に戻され、その横にあった神恵院大師堂は台風で失われたので、十王堂の右半分が大師堂になっている。

 

七宝山 観音寺

本尊:聖観音

本尊真言:おん あろりきゃ そわか
ご詠歌:観音の 大悲の力 強ければ 重き罪をも 引き上げてたべ

 

寺伝によれば、行基が養老6年(722年)に訪れた後、大同2年 (807)空海弘法大師)が第7世住職として入山し、奈良の興福寺を模して、中金堂(ちゅうこんどう)に聖観世音菩薩像を刻み本尊とし、丈六の薬師如来を納めた西金堂(さいこんどう)や東金堂(とうこんどう)など七堂伽藍を整備し、さらに、この地に仏塔を建てて瑠璃・珊瑚・瑪瑙などの七宝を埋め地鎮したことから、名称も七宝山観音寺と改め札所のひとつにしたという。

その後、桓武天皇はじめ三代の天皇の勅願所となり、室町時代には足利尊氏の子・道尊大政大僧正が45年間住職を務めるなど隆盛を誇った。

 

【2016年 逆打ち 車遍路】

本日、5・6ヶ寺目の69番札所 観音寺・68番札所 神恵院
一つの敷地の中に2札所ありました。

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山門から入って、右側の観音寺で納経。

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その後、左側の神恵院で納経。

神恵院は、コンクリートの構造で囲われてますが、中に入れば、普通に本堂がありました。

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霊場は2つでも、納経所は両霊場の中間に1つでした。

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