タクボンのお遍路日記

お遍路の事を綴っていきます

別格14番札所 椿堂[つばきどう]

邦治山 不動院 椿堂 常福寺

四国別格20霊場14番
四国36不動尊霊場27番

本尊

椿堂 本尊地蔵菩薩延命地蔵菩薩)

常福寺 不動明王(非核(火伏)不動尊

御詠歌
立ち寄りて 椿の寺に やすみつゝ 祈りをかけて 弥陀をたのめよ
災いを 三千歳百々歳(みちとせももとせ) 永劫(とこしえ)に 我は守らん 火(非)核の国

 

邦治山不動院椿堂常福寺と号する。本尊は椿堂の本尊地蔵菩薩延命地蔵菩薩)と常福寺の本尊不動明王(非核(火伏)不動尊)の二尊ある。

伝承によれば平安時代初期の大同2年(807年)邦治居士(ほうちこじ)が地蔵菩薩を祀り当地に庵を構えたことに始まるという。更に伝承では、弘仁6年(815年)四国巡錫中の空海弘法大師)が当時この地で熱病が流行しているのを聞き、杖をもってその邪気を地中に封じ込めたという。空海が立てた杖から椿が芽を出しやがて大木となったという。その伝承より「椿堂」と呼ばれるようになった。

常福寺は、当初少し下った新田神社の横にあったが、火災により石川部落に再建されるも江戸時代中期の宝暦11年(1761年)再び全焼した。このため、椿堂の場所に合併復興し「椿堂常福寺」とした。

幕末の安政6年(1859年)に寺院は火災に遭い椿も焼亡した。現在の椿は焼け跡から再び芽が出たもので、「大師お杖椿」と呼ばれ境内の向かって右側に生育している。

境内の建物は老朽化が進んだため、本堂は昭和59年(1984年)、大師堂は平成17年(2005年)に再建された。2体の本尊のうち非核(火伏)不動尊は大聖不動尊と呼ばれていたが、核兵器廃絶を願い呼び名を改めた。

旧大師像は小像ゆえ新しい大師堂に見合う大きさの大師像が欲しいとの発願で、京都の平安仏所の仏師・江里康慧に依頼し、衣の截金部分は江里の妻である江里佐代子(人間国宝)に依頼し造られた。本尊の地蔵菩薩立像の修復をした縁で製作を快諾したとのことである。旧大師像は新しい大師像に胎内仏として納められている。

 

 

【2016年 逆打ち 車遍路】

チビを連れて廻らないといけなかったため、数日、少し順序を換えてたけど、やっと、逆打ちの順路に戻る。

椿堂、本当の寺の名前は、常福寺だそうです。f:id:prodigal04:20170305191312j:image

境内には「おさわり大師」があって、右手で大師像を触りながら、左手で自分の痛いところを触りながら願うと治ると書いていたので、ここでも、右肩を触りながら、お願いしてみた。

納経して、納経所で御朱印を頂きました。

f:id:prodigal04:20170305191328j:image

 

【2018年6月14日 歩き遍路にて】

f:id:prodigal04:20180617145011j:image
f:id:prodigal04:20180617145017j:image
f:id:prodigal04:20180617145025j:image