タクボンのお遍路日記

お遍路の事を綴っていきます

24番札所 最御崎寺[ほつみさきじ]

室戸山 明星院 最御崎寺

本尊:虚空蔵菩薩

本尊真言:のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おんあり きゃまり ぼり そわか

ご詠歌:明星の 出ぬる方の 東寺 暗き迷は などかあらまじ

 

空海は都での学問に飽き足りず、19歳の延暦11年(792年)頃からの約5年間、山林修行を続けた。空海の『三教指帰』には「土州室戸崎に勤念す」(原文は漢文)とあり、室戸岬にほど近い洞窟(御厨人窟)で虚空蔵求聞持法に励んだとされる。寺伝によれば空海は大同2年(807年)に、嵯峨天皇の勅願を受けて本尊の虚空蔵菩薩を刻み、本寺を開創したとされる。当初は奥の院四十寺のある四十寺山頂にあり、現在地に移ったのは寛徳年間(1044年 - 1055年)頃といわれている。

嵯峨天皇以降歴代天皇の信仰が篤かった。延久2年(1070年)の『金剛頂寺解案』(こんごうちょうじげ あん)によれば、現・室戸市域の大部分が金剛頂寺(西寺)の寺領となっており、最御崎寺(東寺)は金剛頂寺支配下にあったことが窺われる。鎌倉時代末期から室町時代初期にかけては、金剛頂寺の住持が最御崎寺を兼帯していた。正安4年(1302年)には後宇多上皇から寺領を寄進されているが、これは京都槇尾西明寺住持で東寺・西寺の住持を兼帯していた我宝の尽力によるものであった。

暦応4年(1341年)、足利尊氏によって土佐の安国寺とされる。その後火災により焼失したが、元和年間(1615年 - 1624年)には土佐藩山内忠義の援助を受け僧の最勝が再興する。堂塔を建立、七堂伽藍を有したという。明治に入って神仏分離令によって荒廃するが、大正3年(1914年)には再建された。また、女人禁制の寺で岬からの登山口脇にあった女人堂から拝んでいたが、明治5年に解禁された。阿南室戸歴史文化道の指定を受けている。

 

【2016年 逆打ち 車遍路】

室戸岬の札所
↓仁王門

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正面に見えるのが、本堂。

本尊は、珍しい虚空菩薩。

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境内は広く、色々な物がありました。

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空海の七不思議の【鐘石】は、自分が知っている石同士がぶつかり合う音ではなく、不思議な音色でした。

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↓大師堂

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御朱印

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駐車場に戻る前に、反対方向の灯台に寄り道。

灯台のレンズが動くところを、初めて見ました

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灯台から見る水平線。

瀬戸内側では見ることが出来ない景色です。

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